ちくわーるど

Hearthstoneを中心に日々考えたことをメモするブログ

【雑記】教育の難しさについて考える

電車で移動していた時の事、学校の行事だろうか数十名の児童とその引率の先生が乗り込んできました。

おそらく小学生、中学年でしょうか?

騒がないように注意を受けていたのでしょう、そこまでうるさい感じはしませんでした。

席は20席ほど空いていました。ちょうど児童の人数の半分ほどです。


しかし、児童は誰一人座らずドアの近くで集まりまっていました。

もし、一駅で下りないのであれば、これは大変なことになりそうだ...
そう思った矢先、次の駅で外から他の乗客が乗ってきて、児童達が壁になってしまいました...

ここに教育の難しさがあると思います。


おそらく先生は空いている席には座らないように指導していたのでしょう。
しかしその結果、乗客の邪魔になってしまった


では座れる限り座らせるべきだったのでしょうか。おそらくその際も混乱を招いたでしょう。全員分の席があれば、座らせることも可能だった。
しかし、誰が座るか座らないか、それを児童が判断するのは困難でしょう。

学校教育では協調性や平等であることを重きを置かれますから、座るという特別性な行為を誰が行うのか、臨機応変に決めるのは児童には不可能だと思います。

また、座ってしまうと先生の指示が行き通らない恐れがあります。空いている席に座らせて、下りる駅なのに先生の指示に気づかず乗り過ごしてしまうかもしれません。

そうであれば立ちっぱなしでまとまっているほうが指示がしやすいので座らせない選択肢も一理あります


ただ、実際には立ちっぱなしの迷惑さが甚だしいものでした。
生徒は落ち着くことなく歩き回っていた。下りる方にも乗る方にも迷惑をかけていました


学校を飛び出しパブリックスペースを移動する際はものすごい様々な状況があり、そしてその中から正しいであろう選択肢を取らなければいけません。

これは、先生が、○○してはいけないと注意すれば済む話ではなく、児童が自分自身で行動を律しなければいけません

そのような自主性を育むのはものすごく大変なんだろうと思いました。


そして、少し離れたところで大声でぺちゃくちゃ話してる大学生を見て悲しくなりました。
おわり